「コンピュータに勝つ」ということは、本書においてコンピューターは労働者として擬人化されているということである。「コンピュータ」は「我々から仕事を奪う」「あいつら」であると。本書におけるコンピューターはその意味において”My Job Went to India“のインド人や中国人と変わらない。
しかしそもそも仕事なるものは人が人として生きて行くのに欠かせないものなのだろうか?
本書の設問そのものにこう疑問を投げかければ、答えは明らかとなる。
本書にないもの、それは「遊」である。
コンピューターに出来ないことのうち、なぜかこれだけ抜けているのである。
コンピューターは、仕事しか出来ない。ゲーム機で遊んでいるのは人であってコンピューターではない。そしてコンピューター以降に創出された仕事のほ
とんどは、ゲーム機に代表されるように、遊びそのものか遊具づくりなのである。なぜ未だに多くの人が仕事にありつけるのか。不要不急の遊びが仕事化された
からだ。
「高度に発達した学びが遊びと区別がつかない」のと同様に、「高度に発達した遊びは仕事と区別がつかない」のである。
もういいかげんこのことが常識化しないと、仕事が必要だと思い込んでいる人々はますます苦しまなくてもいいことに苦しむことになるだろう。いや、すでにそうなっている。「働かざるもの食うべからず」の行き着く先は、The Matrixしかありえない。本書もそう認めている。ほとんどの人は、青いピルを選ぶのだ、と。
だから私は今後、「何をしてますか」という質問には、あえてこう答えることにしよう。
「遊んでいます」、と。
それもコンピューターで。
仕事なんて、コンピューターにくれてやればいい。
白川静が生前言っていたように、遊ぶのは彼らコンピューターの「神」たる我々にしかできないことなのだから。